今日の正式発足に先立つ1週間ばかりの「オープン戦」期間のあいだに、すでに10人ほどの会員が飛行船派に参加・投句しています。それぞれの在所は、東京、埼玉、名古屋、大阪、バリ島、ボルドー、シアトル(アメリカ人)と世界に点在。また、投句はしないけれど、覗かせてもらうという「傍観派」も何人かいます。
せっかく会派をブチ上げたんだから会則くらいはなくっちゃね、そのくらいの気持ちで以下の会則をつくりました。主宰がいい加減な人間ですから、作風と同様に、会の方向性もふわふわといまだ流動的ですが、「ブログはいつでも直せるのがいいところ」を心の支えに、まずは当面の会則をつくってみようと思います。(ご意見、ご指導、異論反論、どんどんお願いします)
会則、その1
来る者は拒まず、去る者は追わず
世のなかは不愉快な縛りに満ちています。飛行船派は「ゆるいつながり」というツイッター精神(?)にのっとり、人品骨柄の出来不出来にかかわらず、自由に参加でき、また自由に退会できるものとします。
入会希望者は、自作の句にハッシュタグ(#airships)を付けて投稿してもらいます。投句すなわち入会とみなします。
日々の作品発表はツイッター上で行います。このブログは、会の方向付けやニュースを発表したり、定期的に秀句を再録して味わったりする場にできればと考えています。また、主宰の句作についての考えも随時発表させていただくつもりです。ブログは更新のたびにツイッター上で#airshipをつけてご報告します。
会則、その2
題詠なし、句会なし、吟行あるのみ
俳句の世界では、題詠(季題を選んで詠うこと)や句会(集まって題詠をおこなうこと)が重んじられてきました。しかし、飛行船派ではツイッターのもつ「自由さ」「速報性」「その場かぎり」「ゆるいつながり」といった特性を尊重し、題詠や句会よりも吟行(実際の景色に出会って詠むこと)に重きを置こうと思います。デッサンよりもスケッチというわけです。
吟行という言葉には「創作のために旅に出る」というイメージがありますが、詠むべき題材は日常の暮らしのなかに無数にあるはずで、なにもわざわざ旅に出ることはありません。自然のなかに、人間のなかに、自分の心のなかに題材はあるのです。つねに「旅人の目」で暮らすこと。それは人生を豊かにすることではないでしょうか?
日々吟行——これにてお願いします。
会則、その3
季題無用、形式自由、自ら縛るはそれもけっこう
守旧派の人びとは「俳句=季題を17文字で詠じるもの」という定義にこだわります。ともに正岡子規の門下で最初は親友だった高浜虚子と河東碧梧桐が決裂したのも、伝統か革新かという問題が原因でした。
飛行船派は「自由」を求めて空を航こうと思います。歳時記を傍らに置いて季題・季語を確かめる必要はありません。形式も五七五が七五三でもかまわないのです。また、逆に「私はあくまでも季題にこだわり、形式にこだわる」という人も等しく歓迎しようと思います。伝統のルールとスタイルには、淘汰を経た真理が凝縮されているのですから、それを軽んじよとは言いません。自らを縛るにせよ、解き放つにせよ、「自由」にいこうというわけです。
会則、その4
評は褒めるを宗とすべし、愚の句は自ずと廃れ往く也
これはTLに一度書いたので、読んだことのある会員の方もいらっしゃることと思います。じつはこの項目をつくるにあたってはずいぶん悩みました。批評に関してどうするかは会の方向性に大いに関わるからです。
伝統的に俳句や短歌は他人の目にさらされることで詠み手の腕を上げさせてきたようです。しかしながら、今日、日々の快楽的手慰みとして、当会の門を叩いた人が、自分の句に対してケチョンパーな評価を下されることを望むでしょうか? 良い句ができたら他人様にも読んでもらいたい。感動を共有したい。そこまで高尚でなくとも、良い句は「いいね!」と褒めてもらいたい、それが人情というものでしょう。ここ1週間、他人様の句を素人なりに評してわかりました。TLに流している以上、それぞれの句には作者の尋常ならざる想いと自負が込められているのだと。正直言って、中には想いが余って出来が良いとは言いにくい句もあります。しかし、そんな凡百の句にも、よく読めば詠み手から発せられた強烈なメッセージが込められているものです。評するならそこを評したい。下手を無理に褒めろというのではありません。その人の想いを汲もうと、そう私は言いたいのです。
不出来な句はわざわざけなさずとも、自ずと消えていくでしょう。わざわざ詠み手の心を傷つけてまで手を下すこともないというのが現時点での私の考えです(ある日、いきなり人が変わって、激辛口の評者に豹変するかもしれませんがね、ヘッヘッヘ)。
※次回からは、主宰の句作論について少しずつ触れていこうと思います。

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